私の自立ノート

子どもの変化に戸惑い、親としての「当たり前」を手放した私の道のり

Tags: 思春期, 親子関係, 親の成長, 固定観念, コミュニケーション

思春期を迎えた子どもとの関係は、時に親にとって大きな戸惑いをもたらします。私もその一人でした。かつては素直だったわが子が、ある時期を境に私に対して口を閉ざし、時には反発の言葉を口にするようになったのです。これまで良かれと思って行ってきた子育ての「当たり前」が、全く通用しなくなったと感じた経験について、お話しさせてください。

戸惑いと葛藤の始まり

私の娘は、思春期に入るまでは比較的穏やかで、私の話にも耳を傾けてくれるタイプでした。それが中学校に進学した頃から、次第に自分の部屋にこもりがちになり、食事の時以外は家族との会話も少なくなっていきました。私が何か質問をしても「別に」とか「知らない」といった短い返事が返ってくるばかりで、時にはあからさまに不機嫌な態度を取ることもありました。

正直なところ、私は非常に戸惑いました。そして、寂しさや焦り、さらには怒りのような感情が湧き上がってきたのを覚えています。「どうしてこんなに変わってしまったのだろう」「親なのに、なぜ子どもの気持ちが分からないのだろう」と、自分を責める気持ちと、子どもへの不満がないまぜになっていました。

私の中にあった「親としての当たり前」

当時の私は、無意識のうちに「親とはこうあるべきだ」「子どもはこう育つべきだ」という強い固定観念を持っていたのだと思います。例えば、「勉強をきちんとさせるべきだ」「親の言うことは聞くべきだ」「自立のためには厳しく接するべきだ」といった考えが、私の中での「当たり前」でした。子どもの変化は、その「当たり前」を根底から揺るがすものであり、私はそれを素直に受け入れることができなかったのです。

「このままではいけない」と思いながらも、私は娘に対し、これまで以上に口うるさく接してしまうことがありました。その度に娘はさらに心を閉ざし、私たちの間には目に見えない壁ができていきました。私の努力が、かえって状況を悪化させているように感じられ、途方に暮れる日々でした。

視点転換への試行錯誤

ある日、妻との会話の中で、「もしかしたら、私が『親としての当たり前』に縛られすぎているのかもしれない」という思いが頭をよぎりました。妻は私よりも冷静に子どもの変化を見つめ、時には娘の気持ちを代弁してくれることがありました。

そこから、私は意識的に自分の行動を見直すようになりました。まず試したのは、娘に自分の意見を押し付けることをやめることです。そして、娘が何か話したそうにしている時には、どんな内容であっても、まずは最後まで耳を傾けることに徹しました。たとえそれが私にとって理解し難いことであったり、賛同できないことであったりしても、まずは「そう感じているのだな」と受け止める姿勢を心がけました。

もちろん、すぐにうまくいくわけではありませんでした。何度か、また感情的になりそうになったり、「どうして理解してくれないのだ」という思いに囚われたりしたこともあります。その度に、私は深呼吸をして、「これは娘の人生なのだ」「私の不安を娘に押し付けてはいけない」と自分に言い聞かせました。

変化と学び、そして親自身の成長

こうした試行錯誤を続ける中で、少しずつですが、娘との関係に変化が見られ始めました。娘が自分の考えや感情を、以前よりも素直に話してくれるようになったのです。まだ反発することももちろんありますが、以前のような感情的な衝突は減り、互いに意見を言い合えるような場面も増えてきました。

この経験を通じて私が得た一番大きな学びは、「親もまた、子どもと共に成長していく存在である」ということです。子どもが変化する中で、親もまた、これまでの「当たり前」や固定観念を手放し、新たな視点や価値観を受け入れていく必要があるのだと痛感しました。完璧な親である必要はなく、未熟な部分があっても、子どもと共に学び、成長しようとする姿勢が大切なのだと知りました。

また、この過程で、夫婦間で子どものことや自分たちの気持ちを率直に話し合うことの重要性も再認識しました。一人で抱え込まず、互いに支え合うことで、困難な時期を乗り越える力が生まれるのだと感じています。

結びとして

思春期の子どもとの関係は、決して平坦な道のりばかりではありません。しかし、その困難な時期は、私たち親が自分自身を見つめ直し、新たな自分を発見する機会でもあるのではないでしょうか。もし今、あなたも「親としての当たり前」に戸惑いを感じているのであれば、一人で抱え込まず、周りの人々やこのコミュニティで、あなたの経験を分かち合ってみることをお勧めします。私たちが共に学び、支え合うことで、きっと新たな道筋が見えてくることでしょう。